WRCの再開について

新型コロナによる世界選手権の中断、延期

WRC 2020 JP

2020年のFIA(国際自動車連盟)世界ラリー選手権(World Rally Championship)は、全13ラウンドが予定されていましたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、第3戦を終えた段階で中断されています。4戦目以降も、ラリー・アルゼンチン、ラリー・イタリア・サルディニアの開催が現段階で延期、ラリー・ド・ポルトガル、サファリ・ラリー(ケニア)、ラリー・フィンランド、ラリー・ニュージーランド、ラリー・グレートブリテン(GB)の中止が発表されています。

第3戦メキシコ戦の終了時点の順位

ドライバー別の第1位がセバスチャン・オジエ(トヨタ)でトータル62ポイント(①18+4②12+3③25)、第2位がエルフィン・エバンス(トヨタ)トータル54ポイント(①15+2②25③12)、第3位がティエリー・ヌービル(ヒュンダイ)トータル42ポイント(①25+5②8+4③0)、第4位がカッレ・ロバンペラ(トヨタ)トータル40ポイント(①10②15+5③10)、第5位がオット・タナック(ヒュンダイ)トータル38ポイント(①0②18+2③18)、第6位がテーム・スネニン(フォード)トータル26ポイント(①4+3②4③15)です。

World Rally Championship

企業別では、第1位がTOYOTA GAZOO RACING(トータル110ポイント)、第2位がHYUNDAI SHELL MOBIS(トータル89ポイント)、第3位がM-SPORT FORD(トータル65ポイント)です。

ラリー・ジャパンは開催されるのか

11月19日から22日に愛知・岐阜で開催予定のラリー・ジャパンについて、海外メディアが国を跨ぐ物流及び資金の面から開催を危ぶむ記事を配信しました。しかし、5月26日にラリー・ジャパン運営事務局はこれを否定し、あくまで予定どおりの開催に向けて『ラリージャパン・タスクフォース』を組織し、随時ビデオ会議を行い準備を進めている旨を表明しました。
さらに、大会本部を置く愛知県の保健衛生担当局と連携を取りながら運営ガイドラインを作成し、感染防止のための手立てを講じる準備を進めているとしました。

World Rally Postponement

一方でラリー・ジャパンの国内プロモーターの高橋浩司代表は、感染状況は国によって異なり、楽観的ではいけないという認識も示しました。

約2週間後の6月12日に、10月9日から11日に開催が予定されていた2020F1日本グランプリレースの中止が報じられました。自動車評論家の国沢光宏氏は同日のYahooニュースの記事の中で、サーキットの敷地内に留まらず広範な地域に及ぶラリーでは一層開催は難しいと主張しています。ラリー・ジャパンは窮地に立たされていると言えそうです。

史上最高のF1ドライバー

史上最高のF1ドライバーは誰か?この問いは、既に長い間議論されてきたものですが、その困難なテーマをここではあえて取り上げていきたいと思います。ただ、ランク付けは流石に難しいので、候補という形で紹介していきます。

Best F1 Drivers of all time

ファン・マヌエル・ファンジオ

F1黎明期に活躍したのが、このファン・マヌエル・ファンジオです。5度のタイトル獲得という偉業は、シューマッハの登場まで46年間も破られなかった偉大なものでした。アルファロメオ、マセラティ、メルセデス、そしてフェラーリと渡り歩いた、伝説のチャンピオンです。

Juan Manuel Fangio

ジム・クラーク

「フライング・スコット」と呼ばれ、2度のタイトルを獲得したジム・クラークは、72レース中32回もポール・ポジションを獲得した、まさしくスピードの申し子です。ロータス一筋でF1を戦い、そしてホッケンハイムの事故により、若くしてその命を落とします。

ジャッキー・スチュワート

3度タイトル獲得の偉大なジャッキー・スチュワートも、ここで挙げないわけにはいけません。2001年にナイトの称号も授与された彼は、BRM、マトラ、マーチ、そしてティレルと渡り歩き、一時代を築きました。

アラン・プロスト

「プロフェッサー」の異名を持ち、その正確無比なドライブ技術で4度タイトルを獲得したのがアラン・プロストです。マクラーレンで一時代を築いた後も、ルノー、フェラーリ、そしてウィリアムズと多くのチームで活躍しました。

Alan Prost

アイルトン・セナ

アイルトン・セナは、日本でもっとも有名なF1ドライバーかもしれません。その悲劇的な死だけではなく、彼が見せた多くの伝説的なレースが、セナを特別な存在にしているのです。もちろん4度のタイトル獲得も、偉大な記録です。トールマン、ロータス、マクラーレン、最後はウィリアムズの所属でした。

ミハエル・シューマッハ

Michael Schumacher

「サイボーグ」と呼ばれ、史上最多7度のタイトル獲得を果たしたのが、ご存じミハエル・シューマッハです。ジョーダン、ベネトン、次のフェラーリで一時代を築き、最後はメルセデスでキャリアを終えました。引退後のスキー事故からの回復を目指し、彼は現在も戦い続けています。

ルイス・ハミルトン

現役最強のドライバー、ルイス・ハミルトンは、マクラーレンからメルセデスへと移籍し、6度のタイトルを獲得しています。シューマッハの最多タイトル記録を目指し、今後もF1界の主役を務めることになるでしょう。

セバスチャン・ベッテル

史上最年少タイトル獲得記録を持つセバスチャン・ベッテルは、まさしく早熟の天才です。BMWザウバー、トロ・ロッソ、レッドブル、そしてフェラーリに所属し、4回のタイトル獲得と、更にその上を目指し活躍中です。

歴代最速ロードレーサー

1949年に始まったロードレース世界選手権の長い歴史において、「最速」と呼ばれるロードレーサーたちをここで紹介していきましょう。

Fastest road racer ever

ジョン・サーティス

ロードレース黎明期に活躍し、500ccで4度、350ccで3度タイトルを獲得した彼は、4輪の最高峰、F1でもタイトルを獲得した史上唯一のレーサーです。ノートンとMVアグスタに所属しました。

ジャコモ・アゴスチーニ

ロードレース界最初のスーパースターと言っていい彼は、500ccで8回、350ccで7回、都合15回の史上最多となるタイトルを獲得した名レーサーです。MVアグスタ、ヤマハ、そしてスズキで活躍しました。

ケニー・ロバーツ

「キング・ケニー」と呼ばれ、現代のロードレーサーの基礎を作ったとも言われる偉大なレーサーが彼です。ヤマハの顔としてヤマハ一筋で戦い、3度のタイトルを獲得しました。

フレディ・スペンサー

その余りの速さに「ファスト・フレディー」と呼ばれた、ロードレース史上に残る「天才」が彼です。圧倒的なスピードで大差をつけるレースの多かった彼は、500ccで2回、250ccで1回タイトルを獲得しています。その中でも1983年ケニー・ロバーツとの熾烈な争いの末に獲得したタイトルは、ロードレースファンの間ではもやは伝説となっています。ホンダの印象が強いですが、ヤマハにも所属しました。

ウェイン・レイニー

先行逃げ切りを得意とし、ライバル、ケビン・シュワンツと激しい戦いを繰り広げた彼は、ヤマハの看板レーサーとして活躍しました。3度のタイトル獲得ですが、下半身不随となってしまった事故がなければ、その数はもっと多かったはずです。

マイケル・ドゥーハン

オーストラリア出身のロードレーサーで、ホンダと共に一時代を築き、500ccで5度タイトルを獲得したのが彼です。特に1997年は、15戦中12勝と圧倒的な強さを誇りました。

バレンティノ・ロッシ

レーサーだった父親の背中を追いかけ、MotoGPで6回、500ccで1回、250ccで1回,125ccで1回と、都合9回ものタイトルを獲得する歴史的なロードレーサーとなったのが彼です。ホンダ、ヤマハ、そして母国イタリアのドゥカティで活躍しました。

マルク・マルケス

僅か5歳でオートバイに乗り始め、MotoGPで6回、Moto2で1回、そして125ccで1回のタイトルを獲得した現役最速のロードレーサーが彼です。ホンダに所属し、現在4連覇中。しかも27歳とまだ若い彼の時代は、当分続くことになるでしょう。

伝説のNASCARレース「2003カロライナ・ダッジ・ディーラーズ400」

2003 Carolina Dodge Dealers 400

アメリカでもっとも人気のあるモータースポーツとして真っ先に名前が上がるのが、NASCARです。800馬力を超えるエンジンを搭載したストックカーが、何台も連なってオーバルコースをひたすら周回するそのレース模様は、F1などに慣れた日本人にとっては少し異様ですらあるのかもしれません。しかし、一度でもご覧になっていただければ、その大迫力のレース内容にきっと魅了されることになるはずです。

そんなNASCARは既に70年以上の歴史を持つため、これまで幾多の名勝負を生み出してきました。今回はそんな中でも、NASCAR史上最高ともいわれる株玉のレースをご紹介しましょう。

伝説となった2003年ウィンストン・カップ・シリーズ第5戦

2003年ウィンストン・カップ・シリーズ(現在のモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)の第5戦としておこなわれた「2003カロライナ・ダッジ・ディーラーズ400」は、史上に残る激戦として長く語り継がれることになります。3月16日にアメリカ東海岸南カロライナ州ダーリントンのダーリントン・レースウェイで行われたこのレースは、同レース場で行われた100回目のレースという記念すべきものでもあり、レース前から大きな注目を集めていました。

レースを序盤引っ張ったのはデイル・アーンハート・インクのシボレーを駆るデイル・アーンハート・ジュニア。中盤戦以降はヘンドリック・モータースのシボレーに乗ったジェフ・ゴードンがレースを引っ張りますが、残り僅かとなった269周目にラウシュ・レーシングのフォードに乗ったカート・ブッシュにトップを明け渡してしまいます。このままレースを終わらせたいブッシュでしたが、パワーステアリングに問題が発生。予選31番手のスタートながら、猛追を続けたPPIモータースポーツのポンティアックを駆るリッキー・クレイブンに追い上げられてしまいます。残り3周でついにブッシュに追いついたクレイブン。そこから2人は史上に残るデッドヒートを繰り広げます。最終ラップ、最後のコーナーで外に膨らんだブッシュに対して、クレイブンは内を突きます。そのまま2台は車体のサイドを激しくぶつけながら、ぴったりと並んでチェッカーフラッグを受けることになりました。結果はクレイブンが僅かの差で勝利。その差はなんと2000分の1秒という、NSCAR史上でもっとも僅差なものであったのです。

スーパーフォーミュラ

日本のトップフォーミュラの歴史の上に

スーパーフォーミュラの歴史は、日本のトップフォーミュラシリーズが積み重ねてきた歴史の上に成り立っています。まだF1という国際フォーミュラの最高峰が、日本にとって遠い世界だった時代の1973年。この年に日本のフォミュラ人気の底上げをするべく、全日本F2000選手権という日本のトップフォミュラシリーズが始まりました。これが1976年にFIAのF2規定変更を受け、全日本F2選手権となります。F2選手権9年の歴史の中で、最多5回のタイトルを取ったレーサー中島悟は、このF2選手権が終了すると同時にF1へとステップアップすることになりました。

スーパーフォーミュラ

ヨーロッパでは既にF2規定は廃止され、F3000規定に移行していたことに倣い、日本も1988年から全日本F3000選手権が始まります。このF3000選手権は、F1ブームやバブル景気が追い風になり、空前の活況を呈しました。ここから多くのF1ドライバーが巣立って行き、また芸能人なども参戦することで一般に認知されるようになったのです。

1995年、国際F3000が参戦コストを抑えるため行ったレギュレーション変更に同調できなかった国内レース関係者は、1996年フォーミュラ・ニッポンという名前で独自のトップフォーミュラシリーズを開始します。しかしバブル崩壊からリーマン・ショックへと繋がる景気後退で人気が低迷。改革の必要に迫られたフォーミュラ・ニッポンは、その目をアジアに向け、日本という枠を超えアジア最高のフォーミュラを目指すことになったのです。こうして2013年スーパーフォミュラは誕生したのでした。

スーパーフォミュラを支えるドライバーたち

スーパーフォーミュラ山本尚貴
  • 山本尚貴:初代スーパーフォミュラチャンピオンであり、2018年のチャンピオン。まだ終了していませんが、2019年もチャンピオン最有力のドライバーです。2018年の活躍でF1に乗るためのスーパーライセンス条件を満たし、今後のF1への挑戦が期待されています。
  • 中嶋一貴:2014年チャンピオン。父が元F1ドライバー中嶋悟というサラブレッドで、本人も2007年最終戦にF1デビューし2009年まで参戦しています。また2018、19年と2年連続でル・マン24時間レースの総合優勝クルーにもなっています。
  • 石浦宏明:2015、17年のチャンピオン。2017年にスーパーライセンス発給資格を満たしましたが、年齢や金銭的な面、そしてF1にシートを持たないトヨタのドライバーだったため、現実的にステップアップは難しいと言われています。

スーパーフォミュラを支えるチーム

ANTELIN      TEAM TOM'S スーパーフォーミュラ
  • チーム・トムス:2013年から3年連続でタイトルを獲得したチーム。2019年はVANTELIN TEAM TOM’Sとして、中嶋一貴、ニック・キャシディの体制で戦っています。
  • セルモ・インギング:2016、17年のタイトル獲得チーム。2019年はJMS P.MU/CERUMO・INGINGとして、石浦宏明、坪井翔の体制で臨んでいます。
  • コンドーレーシング:2018年のタイトル獲得チーム。ジャーニーズ所属の近藤真彦がオーナー兼監督を務め、2019年は山下健太、国本雄資の日本人二人体制です。

2020年スーパーフォーミュラ

まだ2019年シーズンが終わっていないのに気が早いですが、2020年のスーパーフォミュラについてのニュースを取り上げます。まず当初発表された開幕戦と2戦目の開催地が入れ替わり、初戦が鈴鹿、二戦目が富士へと変更になりました。また2戦目の開催日が1週間前倒しになっているのでお気をつけ下さい。そして今年大活躍した若きアレックス・パロウ選手の動向も気になりますね。さて2020年はいったいどんなシーズンが待っているのか。楽しみは来年の春まで取っておきましょう!

佐藤琢磨 ~日本人レーサー歴代最速の男

佐藤琢磨こそ日本人レーサー歴代最速の男、と断言すると「嫌、ちょっと待て」と仰る方もいらっしゃるとは思います。しかしそんな方でも、彼がその有力候補であることには異論はないでしょう。それほど彼の残した実績は素晴らしいもので、とりわけ2017年に世界三大レースの一つ、インディ500で上げたアジア人初優勝という金字塔は決して色褪せることはないでしょう。

レーシング界の常識を変えた男


レーサーとして大成するには幼少期よりカートに乗る必要がある。これはレーシング界の常識です。そして多くのレーサーがまさしく幼少期よりキャリアを積み、レーシングセンスを磨いたうえでなければプロのレーサーにはなれませんでした。しかし佐藤琢磨がレースの世界に飛び込んだのはなんと19歳。後にも先にも、この年齢からF1に辿り着いたレーサーなど存在しません。しかも彼がF1にデビューしたのは25歳の時。カートに乗り始めてから僅か7年目のことだったのです。

Formula 1という大きな壁


イギリスF3チャンピオンとなり、マカオGPも制した2001年に文字通りF3ドライバーの頂点を極めた佐藤琢磨は、2002年念願のFormula 1へと登り詰めます。しかし彼にとって初めて大きな壁にぶつかることになります。Formula 1という大きな壁に。

一発の速さがありながら、しかし佐藤琢磨にはFormula 1のトップドライバーが持つ安定感がありませんでした。それはもちろん戦闘力のないマシンは走らせるために無理をした結果だったのかもしれません。でもFormula 1という厳しい世界で必要なのはただ一つ、「結果」だけでした。2004年にアメリカGPで日本人最高位タイとなる3位を記録したものの、2002年にオーストリアGPで巻き込まれた大クラッシュ等、Formula 1での佐藤琢磨が残した印象はネガティブなものが多かったのです。

IndyCar Seriesという舞台

Takuma Sato 2019


2010年彼はFormula 1を離れ、新しい舞台へ旅立つことを決めます。北米フォーミュラカーの最高峰 IndyCar Seriesへの挑戦です。そしてこの舞台で佐藤は大きな輝きを放つことになります。2012年からはIndyCar Seriesにフル参戦。表彰台にも上がるようになり、そして2017年IndyCar Seriesの中でも最も歴史も格式もあるインディ500で、日本人として、そしてアジア人として初めて優勝を果たすのです。この映像でも聞ける歓喜の叫びは、多くの人に感動を呼びました。

これにより北米で認められることになった佐藤は、2019年のインディ500でのオッズでも16-1と有力選手と見なされ、結果も3位と大活躍。2020年も参戦が決まっている彼のインディ500に賭けてみたい、という方はこちらAsiabetで最高の賭けを見つけるのサイトが助けになってくれるでしょう。

佐藤琢磨〜伝説〜

Takuma Sato at Suzuka Circuit 2019


現在42歳の佐藤琢磨ですが、しかしレースデビューが遅かったため、まだまだ衰える兆しを見せません。2度目のインディ500優勝、そしてシリーズ最高ランク8位に甘んじているIndyCar Seriesでの自己ベスト更新へ向けて、2020年の彼の活躍を期待しましょう!

すべての写真:takumasato.com

鈴鹿サーキット

日本を代表するレーシングコース、鈴鹿サーキットを生んだのは本田宗一郎とホンダでした。1959年、当時日本にレーシングコースは浅間高原自動車テストコースしかなく、しかもそこは未舗装のダートコースでした。そこでホンダは日本初の全面舗装サーキットを作るプロジェクトに取り掛かったのです。その時代日本には高速道路すら整備されておらず、ホンダがどれ程時代に先んじていたかがわかります。

Petronas F1 car in motion
画像 schuger

第1回全日本選手権ロードレース


様々な技術的困難を克服し、1962年9月ついに鈴鹿サーキットは竣工式を迎えます。そしてその2ヶ月後記念すべき最初のレースがおこなわれました。第1回全日本選手権ロードレースです。2日間に渡っておこなわれたこのレースは初日が大雨だったにも関わらず、合計27万人もの観客が押し寄せました。日本を代表するサーキットに相応しい歴史の幕開けとなったのです。

F1の鈴鹿へ


1968年に一度F1を撤退したホンダでしたが、1983年に再びF1に挑むことを決めます。そして1986年遂にコンストラクターズ・タイトルを獲得したホンダは、翌1987年鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリ開催に漕ぎ着けます。これより日本では「F1といえば鈴鹿」というイメージが定着するのです。
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今年も鈴鹿にF1がやって来る


そして今年も10月13日、鈴鹿にF1日本グランプリがやってきます。鈴鹿サーキットは設立当時のホンダ専務藤沢武夫の考えで、家族が楽しめる自動車遊園地として設計されました。車好きの大人だけでなく、その子供たちも遊べる一大エンターテイメントとしてF1日本グランプリはおこなわれるのです。そんな鈴鹿サーキットへ是非ご家族で遊びにいらして下さい!

鈴鹿8時間耐久レース

日本のモータースポーツを語る上で決して欠かせないレースが「8耐」の呼び名で知られる日本最大のオートバイレース「鈴鹿8時間耐久ロードレース」です。過酷な夏に行われるこの「8耐」は、日本のモータースポーツ夏の風物詩としてファンに愛されています。

伝説のトップライダーも走ったレース

以前は日本の4大バイクメーカーが威信をかけて争い、その所属トップライダーが数多く参戦しました。ケニー・ロバーツやケビン・シュワンツ。そして、マイケル・ドゥーハンのようなロードレース界の歴史に名を残す名ライダーたちが覇を競ったのです。近年はMotoGPとの兼ね合いで海外のトップライダーの参戦は減りましたが、現在日本のトップライダーである中上貴晶takaaki nakagamiも2010年に優勝しています。

オートレース

日本のモータースポーツには「異端」として存在するモータースポーツがあります。それはオートレース日本オートレースシリーズです。公営ギャンブルとして経済産業省によって監督されるこのスポーツは、勝車投票券(車券)を購入することで賭けを行うことができます。

最大のレース「SGスーパースター王座決定戦」

オートレースに興味がなくてもこのレースの名前は聞いたことがある、という方もいるかもしれません。年末のビッグイベントとしてマスコミに取り上げられることもあるからです。車券の購入はもちろん競争場に出向くのが一番ですが、現在はインターネットでも購入可能で、SGのような大レースの時だけ購入したいというライト層にも楽しめるようになっています。

世界ラリー選手権

スピードが魅力的のフォーミュラーカーレースとは違い、世界ラリー選手権(通称WRC)の魅力は、その迫力です。WRCのレースは、しっかりと舗装されたサーキットで行われるのではなく、普段一般人が使用する痛んだ道路や、土煙が撒きあがる未舗装道路が使用されます。時には雪の中を走ることもあります。

その迫力を間近で体験できるレース

WRCの特徴に、レースを目前で見ることができるというのがあります。以前観客は、レースカーに轢かれる事故が起こるほどコースのすぐ側でレースを観戦していました。しかし、近年は流石にそこまで近くに観客が来ることはなくなったようです。

それでも他のレースのスタンドからの距離に比べればはるかに近い位置で観戦できます。そこで感じる迫力こそが、WRCの最大の魅力なのです。